○印は、日付不明またはその頃の意
本校の沿革 社会の状況
1・18 電話架設認可並開通。 昭和35年
1960
この年 座喜味城跡に米軍アンテナ基地が建設される。
1・22 パン給食実施。   4・9 知花成昇、第一四代村長に就任。
1・  パン給食による器具棚等備品購入(教育予算)   4・13 村民会館において第一〇次南米ボリビア移民団(一三戸八四人)の壮行会が催される。
2・  六〇周年記念事業計画によるピアノ購入(六〇〇ドル)   4・28 沖縄県祖国復帰協議会結成なる。
2・  一教室竣工。   5・24 チリ津波で各地に被害起こる。
2〜3 PTAによる校地周囲の植樹。   6・19 アイゼンハワー米大統領来沖。祖国復帰県民総決起大会とデモが行われる。
12・26 中央音楽コンクールで女子独唱で当山久子さん(六年)入賞。   7・1 学校給食法公布
    7・2 宇座の南米ブラジル開拓移民壮行会を公民館において開催。
    7・13 村民会館においてブラジル・カッペン移民壮行会が催される。
1・  南側二階建二教室竣工。 昭和36年
1961
この年 村青年連合会を村青年団協議会に名称変更する。
1・20 記念図書館入札六、二八七、〇三ドルで与那覇次郎氏へ落札。   1・13 ナイキ発射演習実施される。
2・2 図書館敷地地均しの為ゴヤマリン隊よりブルドーザー一台奉仕。   3・13 米空軍、「沖縄にメースB基地四か所を建設」と発表する。瀬名波サイトにもIRBM中距離弾道ミサイル八基が配備される。
2〜3 PTAによる記念植樹。   4・  沖縄人権協会設立
2・25 沖縄タイムス主催音楽祭に当山久子さん出演。   4・28 祖国復帰県民大会に六万人が参加。
2・  図書館工事着工す。   9・6 村内各公民館に電話が開通する。
5・  六〇周年記念図書館竣工す。   10・  全県的に放射能雨ノイローゼ広がる。
6・12 自動式電話に切り替え    
6・  PTAにより図書館周辺の庭園造りと鎮守の塔附近の整地作業と教材園の設置に奉仕作業行う。    
6・25 六〇周年記念式典挙行す。    
7・15 山城源徳氏より校旗(八五ドル)の寄贈あり。    
10・1 美里小学校PTA視察に来校。    
10・9 西原小学校PTA視察に来校。    
10・16 恩納小学校PTA視察に来校。    
11・5 嘉数小中校PTA視察に来校。    
11・5 琉米親善委員会よりテーブル六個、椅子二二の贈物あり(ソベ通信隊より)    
11・15 宮前小学校PTA視察に来校。    
11・19 前原地区PTA視察に来校。    
12・9 琉米親善委員よりトタン一〇〇枚寄贈あり。    
12・9 山内昌保氏より図書四冊寄贈あり。    
12・20 琉米親善委員会(ナイキ婦人部)より図書五〇ドル分寄贈あり。    
4・1 川崎小中校PTA視察に来校。 昭和37年
1962
1・1 米軍より法定祝祭日における公共建築物等での日の丸掲揚が許可となる。
4・1 与久田幸吉先生校長として津堅小中校へ栄転。野村正弘先生越来小学校の教頭へ栄転。宇栄原宗輝教頭越来小学校より赴任。   2・12 第一四、一五次南米ボリビア移住者壮行会が催される。一八日出発。
5・14 桃原小学校PTA視察に来校。   4・  村役場より『村治十五年』発刊される。
6・5 一水会(元渡慶次小学校職員)会長渡久地政功先生外会員より額縁寄贈(図書館に対し)   5・29 村庁舎増築工事竣工。
9・14 津堅小中学校PTA視察に来校。   6・17 村体育協会主催の第一回マラソン大会を開会する。
9・19 読嘉音楽コンクールで一位入賞。   8・22 学校保健法公布
9・30 全琉音楽コンクールに出場。   8・23 長浜河川堤塘工事竣工の検査を実施する。
10・  PTA予算により東側便所五坪建築(総工費六六九ドル五九セント)   12・11 池原昌徳村長就任
10・26 村陸上競技会に於いて五年生優勝す。   12・25 宇座公民館改築完成合同祝賀会を行う。
1・  南便所八坪建築(教育委員会予算、総工費一〇七一ドル) 昭和38年
1963
2・  教公二法阻止大会開催。
3・3 普通教室二階建一教室建築する。(南校舎の西端)   3・4 第一七次南米移民壮行会を開催。一九日出発。
3・10 宮森小学校PTA図書館視察に来校。   4・1 小学校で教科書の無償配布実施。
3・12 城前小学校PTA視察に来校。   4・28 祖国復帰県民総決起大会、北緯二七度線で本土側と沖縄側との初の洋上交歓が実現する。
3・20 坂田小学校PTA視察に来校。   6・  干ばつで人工降雨作戦開始。
4・15 文教局中部連合区指定による保健体育の研究校として指定を受く。   8・17 みどり丸沈没(死者一三〇人、行方不明二六人)
5・3 琉米親善委員会よりブランコ、雲梯、シーソーの寄贈あり。   11・15 ナイキ発射演習が始まる。
5・28 中部連合区より総合指導を受く。   12・16 農協新庁舎落成祝賀会が催される。
5・29 山田小中校PTA視察に来校。    
6・18 豊見城村座安小学校PTA視察に来校。    
7・6 読谷嘉手納地区交通安全協会より感謝状を受く。    
8・7 字儀間PTA美化奉仕(砂場、花園づくり)    
8・8 字渡慶次PTA美化奉仕(花園、植物、標本棚、教材園づくり)    
8・9 字宇座PTA美化奉仕(養魚池、花園づくり)    
8・11 字長浜PTA美化奉仕(塵焼ガマ、小動物飼育舎、花園づくり)    
8・26 沖縄交通安全協会より表彰を受く。    
9・3 四号校舎(東)内廊下を教育委員会施設費五〇〇ドルとPTAの協力により外廊下に改修した。    
9・11 南部連合区指導主事(津嘉山朝吉次長他四人)図書館並にPTA視察に来校。    
10・15 村陸上競技会に於いて男女共総合優勝。    
11・18 長嶺小学校PTA視察に来校。    
12・5 仲泊小学校PTA視察に来校。    
12・14 伊江島西小学校PTA視察に来校。    
12・16 読谷・嘉手納音楽コンクールに於いて器楽合奏一位、女子独唱一位。    
12・18 琉米親善委員会よりバックネット、平均台、ピンポン台、野球、庭球、バレー用具一式、その他一〇数点の寄贈あり。    
12・26 全琉音楽コンクール大会の器楽合奏と独唱の部へ出場。    
1・21 読谷村童話大会に於いて新垣恵子一位。 昭和39年
1964
5・19 村老人クラブ結成大会を開催する。
1・15 座喜味の曽根宮一氏より、さるすべり外二〇本樹木の寄贈あり。   7・11 京都大学中南米研究会の一行四名が沖縄の移住母村研究で瀬名波を調査する。
2・2 字長浜PTA美化作業(築山、チリ焼場、教材園)字儀間PTA美化作業(理科備品棚づくり)   7・17 村身体障害者結成大会開催する。
2・9 字宇座PTA美化作業(机、腰掛修理)   9・9 オリンピック東京大会聖火リレーが村内を通過する。
2・21 文教局指定体育研究発表会。   10・10 オリンピック東京大会開会。
4・7 宮城孝吉校長 普天間中校より赴任。伊波剛校長 大山小学校へ転勤。   11・  松岡政保行政主席に任命さる。
11・29 浜小中学校PTA視察に来校。南原小学校PTA視察に来校。    
12・7 文集「ガジマル」第一号発刊。    
12・26 琉大主催音楽発表会に独唱・器楽合奏出場。    
2・16 古堅小学校職員PTA視察に来校。 昭和40年
1965
この年 教育税制度廃止さる。
6・25 村内ソフトボール大会で女子優勝す。   6・11 米軍パラシュート演習のトレーラー投下により、棚原隆子ちゃん圧殺される。
7・3 校内放送配線をなし、放送教育を始める。   6・18 喜名小学校において棚原隆子ちゃん事件の県民抗議大会が開催される。
11・12 嘉手納テレビ店よりテレビ一台寄贈あり。   7・4 読谷村で最初の児童福祉施設、読谷保育所の開所式が行われる。初代園長に古堅宗光、乳・幼児三四名が入所する。
    8・15 宇座区、慰霊碑「宇座守の塔」を建立。
    8・19 佐藤首相が沖縄を訪問、「沖縄の祖国復帰が実現しないかぎり、日本にとって戦後は終わっていない」と声明。
4・6 与久田幸吉校長赴任。渡嘉敷兼保教頭赴任。 昭和41年
1966
1・28 米軍、読谷村ボーローポイント(残波岬)に、行政府首脳、立法院議員、中部市町村長、来島中の自衛隊員、報道陣招き、ナイキ・ハーキュリーズの発射演習を公開。
9・1 完全給食室落成一一五六〇ドルで知花昌弘氏によって完成。   6・11 宇座体育協会結成される。
10・10 幼稚園舎四教室落成九四七八ドルで与那覇次郎氏によって完成。   11・18 村長選挙、無投票池原昌徳現村長が再選。
    11・29 落下傘事故、重さ八・五キロの風速測定用角材が座喜味の民家の屋根をぶち抜く。
    11・30 長浜公民館が完成する。一二月一〇日に祝賀会を催す。
    12・19 琉米親善委員会よりクリスマスプレゼントとして村内学校に一五〇〇ドル相当のスポーツ用具が贈られる。
4・30 歩道完成 昭和42年
1967
1・13 喜名小学校、完全給食を実施する。
5・3 小動物飼育小屋完成(卒業生記念)   3・29 渡慶次FBIS通信隊地域の住宅周辺に電灯がともる。
7・20 渡嘉敷兼保教頭宮城小中学校長に栄転。   5・  渡慶次交通安全友の会が発足。
7・21 松田盛康先生教頭として赴任。   6・13 読谷小学校創立八五周年記念図書館が竣工する。
    7・1 戸籍が夫婦・子供単位に整備される。
    7・1 この日から琉球船舶旗と日の丸の併揚許可される。
    7・21 大城立裕『カクテルパーティー』で沖縄初の芥川賞受賞。
    10・10 古堅中学校水泳プール開き。
    12・10 読谷小学校八五周年式典が開催される。
  昭和43年
1968
この年 古堅小中校で完全給食が実施される。
    7・28 瀬名波公民館が落成、祝賀会を催す。
    9・  渡慶次カタノーの字有地を村に貸し、村営チリ捨て場に指定。
    9・26 宇座海友会結成。宇座スポーツ少年団「あかつき」を結成。
    10・12 福井県で開催の全国身障者スポーツ大会で福地蔡賢選手一〇〇メートルで銅メダル獲得する。
    11・3 知花英康・当山真志、勲五等瑞宝章を受章する。
    11・11 初の公選主席に屋良朝苗が圧勝で選ばれる。(一二月一日就任)
    11・19 嘉手納基地でB52戦略爆撃機が墜落し大爆発事故が発生する。
4・1 野村正弘先生教頭として赴任。松田盛康教頭古堅中学校へ転勤。 昭和44年
1969
6・23 瀬名波区、「永和の塔」を建立し除幕式を催す。
    8・  渡慶次区、渡慶次小学校グラウンドにおいて第一回区民運動会を開催する。
    12・  渡慶次婦人会五〇周年記念式典を催し、『記念誌創立五〇周年』発行する。
2・3 中部連合区指定 図画工作研究発表。 昭和45年
1970
2・28 読谷中学校新運動場が完成する。
    3・28 読谷小学校に体育館が完成する。
    5・5 子どもの国開園。
    6・23 読谷村議会、毒ガス即時撤去に関する要請を決議する。
    8・30 村中央公民館落成祝賀会が催される。
    12・9 古堅宗光、村長に就任する。
    12・20 深夜、コザで反米暴動が発生。米兵の交通事故に端を発し、数千の群衆が米人車、MPカーなどを焼き払う。
2・23 理科教室二階普通教室検査終了。 昭和46年
1971
1・  米軍毒ガス移送開始。(九月まで断続的に移送)
4・30 体育倉庫一二坪完成。   5・11 米軍不発弾処理作業再開に座りこみで抗議。
    6・16 屋良主席、返還協定調印への出席を辞退する。
    6・17 沖縄返還協定、日米で調印。沖縄では県民不在の返還協定ということで県民総決起大会が開催される。
    10・29 楚辺部落後方に訓練中の米軍ジェット機が墜落する。
    11・21 渡慶次区より字誌『渡慶次の歩み』発刊される。
    11・24 読谷村新生活運動協議会は、来年から村内一円で新暦で正月・生年祝を行うことを決議する。
3・31 与久田幸吉校長 勧奨退職。 昭和47年
1972
5・13 日本復帰に伴い通貨を米ドルから日本円に交換(一ドル=三〇五円)する。
4・1 比嘉良正校長赴任。   5・15 読谷村役所を「読谷村役場」に改称する。
5・15 日本復帰実現により沖縄県となる。   5・15 座喜味城跡復帰に伴い、国指定史跡となる。
    5・15 児童手当制度始まる。
    6・25 知事・県議会選挙、新知事に屋良朝苗が当選する。
    7・18 沖縄県復帰記念事業として簡易保険巡回診療団が来村する。
    8・7 村立二番目の南保育所開所式。(入所幼児六〇名)
    9・24 初の農業委員会選挙がなされる。
    10・1 金城次郎、座喜味へ窯を開く。
    10・8 読谷村総合グラウンドで二五周年記念読谷村陸上競技大会が開催される。
    12・4 金城次郎氏の県無形文化財指定祝賀会を催す。
    12・15 金城次郎登り窯の初火入れ。
1・  家庭科教室・音楽教室落成する。 昭和48年
1973
1・11 米軍不発弾処理場で「毒ガス漏れ事故」起こる。
8・1 運動場土入れ作業完了。   1・18 「毒ガス漏れ事故」に抗議する村民大会が開かれる。
8・15 PTAによる運動場の芝植え。   4・30 若夏国体の聖火が本村を通過する。
    5・3 若夏国体開催される。
    6・14 日米合同委員会、トリイ通信施設の一部返還を合意。
    6・14 旧渡具知が二〇年ぶりに返還される。
    6・30 メースB基地が返還される。
    10・  総合消防庁舎を役場内から読谷小学校南側に新築移転する。
    10・  長浜区、公民館の東側に子供あそび場が完成する。
3・31 比嘉良正校長 勧奨退職。 昭和49年
1974
この年 残波岬灯台が完成、点灯する。
4・1 謝花良俊校長 平安座小中校より赴任。   7・10 宇座区より字誌『残波の里=宇座誌=』発刊される。
5・17 給食室ガス釜工事完了。   7・21 村長選挙、山内徳信無投票当選。一七代村長に就任する。
7・14 PTAによる芝植え作業。   8・25 読谷村立歴史民俗資料館竣工。
12・14 北三階校舎落成。   10・11 長浜区で県下初の交通少年団が結成される。
    11・  第一六回日本民芸公募展に出品の与那嶺貞の読谷山花織が最優秀賞に輝く。
    11・30 残波岬の全面返還なる。
1・10 給食室保冷庫 配膳棚改良工事。 昭和50年
1975
4・10 県教育委員会は、「読谷山花織」を県指定無形文化財(工芸技術)に指定し、与那嶺貞を技能保持者に認定する。
4・1 野村正弘教頭 比嘉小学校の校長に栄転。嶺井巌先生 教頭として赴任。   5・18 県下初の村立歴史民俗資料館が開館する。
6・22 PTA美化作業(ブロック積み)   5・18 第一回「文化まつり」開かれる。
7・18 学校掲示板竣工(日進建設の寄贈)   7・1 読谷村、第一九回沖縄タイムス賞「自治賞」を受賞。
10・6 体育館工事着工。   7・20 沖縄海洋博覧会開催。
    7・21 渡具知東原遺跡で、六〇〇〇年前の曽畑式土器発見される。
    11・16 沖縄国際海洋博、夕日の広場会場での「読谷村の日」において馬舞(高志保)、棒術(座喜味)、作田舞(長浜)を披露する。
4・7 体育館竣工。(八一四平方メートル) 昭和51年
1976
1・  沖縄海洋博覧会閉会。
4・21 新便所竣工(西側)   5・1 村立三番目の北保育所が開所する。
6・28 七五周年記念事業期成会発足。   9・30 ボーローポイント射撃場地区返還される。
9・19 創立七五周年記念式典並びに体育館落成祝典挙行する。   10・23 読谷飛行場内米軍アンテナ設置反対村民大会を催す。豪雨の中を八二〇名の村民が参加する。
    10・26 字座喜味にイモ団地を造成する。
    12・24 読谷村の村章・村歌が制定される。
  昭和52年
1977
2・7 山内村長、読谷村補助飛行場内のアンテナ設置工事中止に関する書簡直訴状を米国ジミー・カーター大統領に送る。
    5・9 読谷村字渡具知所在の木綿原遺跡が採砂にともない緊急発掘調査開始。発掘の結果、弥生式土器や箱式石棺墓等が発見される。
    12・2 渡具知地域に住宅建築許可下りる。
    この年 「石油ショック」起こり、不況倒産多発。
9・8 新校舎建築のため東側校舎(一九五五年建築の平屋)取り壊す。 昭和53年
1978
2・28 読谷村議会庁舎が完成。
9・13 新校舎建築のため東側二階校舎取り壊す。(旧管理棟で昭和三二年十二月竣工校舎)   3・12 第一回沖縄県功労賞に屋良朝苗が選ばれる。
    3・31 村教育委員会より『読谷村の文化財第一集』発刊される。
    5・25 村立診療所の開所式が行われる。
    7・3 山内徳信村長、二期連続無投票当選を果たす。
    7・30 「人は左車は右」を合言葉に交通方法変更が全県下で実施される。
    10・9 読谷村運動広場開場する。
3・20 北側新校舎建築。管理棟(普通教室八、視聴覚教室一、資料室一、便所二竣工) 昭和54年
1979
1・12 「第三回全国伝統的工芸品展」が東京西武百貨店で開催され、本県からは読谷山花織が中小企業庁長官賞を受賞。
    3・25 村歴史民俗資料館より読谷村民話資料集一『伊良皆の民話』発刊される。
    4・18 渡慶次野菜生産組合、近代的農業の発展と創意工夫の経営実績を高く評価され朝日農業賞を受賞する。
    5・15 読谷山花織の与那嶺貞、第一四回西部工芸展にて朝日新聞社金賞に輝く。
    7・18 二一世紀の夢とロマンを求め、読谷ムラおこし講演並びに研究集会を開催する。
    10・18 第二一回九州地区民俗芸能大会に長浜の「チクタルメー」が県代表として出場する。
    11・6 読谷村楚辺の読谷ニューハイツ内の空き地に米軍のおもり付きパラシュート落下事故が発生。